2003.7.17〜18 サンドン (頑張照蔵・作)

 先月の釣行予定が台風6号で繰り下がって17日〜20日までをサンドンで過ごそうと一路奄美へ。
 釣行予定が変わった所為か、今回の釣行は理由は判らないが、いつになく熱くならない。例年だと期待と興奮で行く前からすでに疲れているほどなのに。しかも、一ヶ月前に荷物を送ってしまったものだから、何を送ったのかもわからなくなってしまっていて、準備もままならない。そのまま当日が来て、とりあえず朝6時頃の電車に乗り込み羽田空港へ。夏休みなのか、異様な混雑だ。搭乗手続きを終え、軽食をとって飛行機へ。飛行機も満席状態。隣には20歳そこそこの女性。幸先の良いスタートだ。彼女は奄美は初めてで、同窓生の2人と共に奄美観光だという。面白いところはあるか?の問いに(僕の場合は回数は行っていても、奄美に行ってもろくに陸地には居ないので)奄美の良い店等のありったけの記憶を呼び起こして話をした。そんなことをしながら奄美空港へ到着。
 友人が船で奄美空港の近くの宇宿港に船を着けてくれるとのことだったのでそこまではタクシーで行こうと思っていた。しかし空港に着いたら他の友人が迎えに来てくれていて、一路宇宿港に。途中で友人の携帯に着信があって、少々遅れるとのこと。迎えに来てくれた友人とコーラルパームスというホテルでお茶をして待つ。その間にその友人から先週古仁屋で船から釣った80?オーバーのクエの話を聞いて、冷えていた心にわずかばかりの期待が宿った。そうしたらなんとあの隣に座っていた彼女が来て『また会いましたねっ!』と声を掛けられた。『良かったら部屋に来ませんか?』と言われたが、サンドンに行きたくなくなったら大変なので丁重にお断りした。そして友人から港に着いたとの連絡が入り、宇宿港へ。
 着替える間もなく出航。凪とはいえ、着替えるのは大変だ。なんとか着替えをすませ、船頭さんと友人に挨拶。釣りの楽しい会話をしながらサンドンを目指す。船頭さんも『今回は凪だから大丈夫』と言ってくれ、一安心。そして遥か水平線に点のようにサンドンが見えてきた。徐々に大きくなってきたサンドン・・・・まさに“絶海の孤島”。いつ見ても素晴らしい。凪というほどではないが、充分に乗ることは可能な海だ。早速スパイクを履いて渡礁の準備。サンドンを寝蔵にしているアジサイなどの海鳥が大きな声を上げながら一斉に飛び立ち、僕らに文句を言っているようだ。心の中で『ゴメンよ。二泊で帰るから・・・何もしないから』と謝りながら船首に立った。いつも僕が先に上がって荷物を受け取る役だ。そして無事渡礁。普段の運動不足が原因で、そのまま焼けた岩に寝転んで小休止。友人から『とりあえず乾杯だ』と言われて二人でビールを。火照った体にビールが沁み込んで心地よい。そして荷物を整理して波にもって行かれないように運べるものは高いところに運んで、重いものはロープで縛り付けて・・・・用意完了っ!
そして釣りの用意。まずはコマセのイワシをグズグズにして放り込んでみる。相変わらずツノダシやヤチャ(アカモンガラ)、その他にイスズミやニザダイの仲間が沸いてくる。友人は実績を重視して北面の日本記録が出た所、僕は下の段で北と南にとそれぞれ竿を出す場所を決めた。
                                              

西風が少々強いものの、波は下の段にも届かず、時折しぶきが掛かる程度。しかし東側に竿をセットしているときに岩の窪みに沿って上がってきた波が僕の鼻の穴に命中っ!潮は鼻を通過して気管へ・・・・メチャクチャ痛いし咽るし。それでも今回は親指に充分気を付けながらアンカーボルトを打ち込み、四点張り。暑いし、堤防の釣りばかりしていたので勝手が違い、中々思うように仕事がはかどらない。それでもまるでやる気が無かった僕も流石にその気になってきた。やっと支度を終え、まずテストに一投しようと餌のカツオを括り付けていたら、沖に巨大な影・・・しかも一匹ではなく20匹くらい居る。・・・・イルカだ!折角やる気になっていたのに、最初から気分が凪いでしまった。とりあえず放り込んでみる。小魚が竿先を僅かに揺らし続け、30分後にはそれもなくなってきたので上げてみるとカツオは頭の皮まで綺麗にされ、見事に骨だけになっている。
                                             

これでは折角のカツオが無駄になるだけだ。時合いを待って、そのときだけに放り込むことに決めた。しばらくすると南から潮が早くなって来てとても釣りにならない状況になってきた。友人は中物仕掛けが底に届かないと嘆いている。潮裏に行ってみると潮が渦を巻きながら流れている。まるで鳴門みたいだ。それなら・・・・と、僕はルアーを取り出して投げていたが何の気配もない。疲れたら肝心の夜に影響してしまうので、釣りを止めてしばらく様子を見ることにした。友人もそう考えたのか、すでに釣りを止めてタープの下で海を眺めている。僕もタープにもぐりこみ、しばらく二人で今までの釣りの話などに花を咲かせた。夕方になって怒って飛んで行ったアジサシたちが帰ってきた。どうやら近くに陸地が無いのでここに帰るしか方法が無いと諦めたようだ。それでも降りたり飛んだりして落ち着かない様子。ごめんよ!
                                                 

 そして時合いが時合いが近づいてきたのでコマセを打つ。そして大物仕掛けの投入準備。波が高くなってきてしかも満潮なので頭まで波が被ってくる。時折竿に抱き付いて難を免れながら準備完了。波は七回周期で高くなっては低くなると古老たちの話を思い出しながら投入のタイミングを図る。足元はコケが生えてツルツルなので上手い具合に踏ん張れない。しかしタイミングが来てしまったのでエイ・ヤーとばかりに放り込んだ。焦りと力不足、それに向かい風の相乗効果ででカツオはすぐ目の前に落ちた。それでも意外と深かったのと投げ直しは危険と思った僕はそのまま竿を掛けてセッティング終了た。先ほどとは違い、小物の魚信は無い。続けてもう一方の竿も放り込んだ。こちらは波裏とはいいながらも釣り座がより低いのでもっと波をかぶる。満潮なのだから仕方が無い。はじめからある程度覚悟していたことだ。何とか二本の竿をセットし終え、少し高い場所に腰掛けて魚信を待った。しかし微動だにしない。曇りで月が無く、ウミホタルも少ない。絶好の時合いだ!海面は黒々として、まるで生き物のようにウネリ、飛沫を上げ・・・・いかにも大物予感させる海面。しかし竿先はその姿勢を最後まで崩さなかった。まるで『お前らの思惑は解っている』とでも言わんばかりに。とうとう一度目の時合いは過ぎてしまった。 時合いが過ぎて友人が用意してくれた握り飯を頬張った。いつも通り『サンドンで食う飯は一流料亭よりもウメー』と言いながら。そして潮が代わって僕の釣り座は両方とも潮が当たり、竿を出せる状態ではなくなった。仕掛けを上げて次の時合いを待つ。しばしの間、中物を釣ってみる。ギンガメ、カスミ、ハースビ(標準和名は不明)等々、次々と釣れてくる。四点張りと違って手持ち竿なので、魚の動きが手に伝わって心地よい。が釣れ過ぎて飽きる。少々楽しんだ後、次の時合いに備えて体力を温存することにした。そして次の時合いが来た。中物でなんと珍しくイワシ餌でイスズミが来たので生かしておいたのを先端の竿に目通しして括りつけて放り込んだ。魚信は無い。イスズミが竿先をを動かすだけ。時折大きく動くのが気にはなったが、大物の魚信ではないことは明らか。ずっと竿先を眺めていたら眠気がさして来た。考えてみれば昨日から寝てない。睡眠不足の体に鞭打って重労働。高齢も手伝って瞼を下げてくる。何てこった時合いだというのに。そしてウトウトして、ついには熟睡モードに突入してしまったらしい。目が覚めたら竿が倒されている。慌てて竿を上げてみたがすでに糸(磯ハンター100号)が切れていた。きっと突端を回って竿が倒れて糸が切れたものだろう。竿をセットしているときに突端を回ったら僕は竿と岩に挟まれるだろうと思っていたが、波で五点張りにする余裕が無かった。寝てて良かった。しかし魚は確実に居る。この近くのどこかに。多分カッポレだ。カッポレは最近ここで170?オーバーが釣れたらしい。
 空が白んで来て、また強烈な日差しを予感させる。潮が変わったのでもう一方の竿を放り込んだ。波が高くなったので一回投げるだけで3回は波をかぶって竿にしがみつく状態。掛かってしまったらどうしようか?と考えさせられる。が、しかし掛かってしまえば何とかなるだろうと放り込んだ。魚信は無い。これはラッキーなのか?アンラッキーなのか?
 一向におさまる気配の無い波に嫌気が差した。
 陽も高くなり、強烈な直射日光が僕らを容赦なく痛めつける。強烈な日差しと波による体力の消耗も激しく、呼吸が荒くなっているのが判る。しかし今回はやらなくてはならないノルマが課せられていた。トローリングリールのテストと毛鉤での釣り。トローリングリールはD社の物で、僕のスタイルのトローリングには使えない旨を報告したら、何か使いようがあるかと聞かれたので『磯からのカッポレには使えるかも』と答えたことが発端で、テストさせられる羽目になった。

波をかぶりながらもまた餌を釣った。イスズミがまた釣れたのでこいつを目通しして泳がせた。ご存知のようにイスズミはただ泳がせただけでは根に入ってしまうので、浮木代わりに20?くらいの風船を付けた。浮き下は約10m。魚信は無かった。挙句の果てにはまたイルカが姿を見せた。しかしその直後、今度はイルカとは明らかに違う水しぶきがあちらこちらで上がる。どうも30?くらいのキハダが回って来たらしい。仕掛けはそのまま2時間くらい泳がせて置いたが魚信が無く、しかも流れに逆らわなくなってしまったので上げてみたら見事にハリスが切られていた。サメだ。カッターで切ったような見事な切れ口。

                                

浮木さえも沈めなかった。カッポレが来てくれれば・・・。例年なら40〜50?くらいのカッポレの一匹や二匹は釣れないにしても泳いでいる姿くらいは見られるのに、今回はカッポレをはじめ、全く良い魚が見られない。しかしまだ明日まであるのだから見えたらまた試そうと思い、いざというときにすぐに仕掛けを入れられるように仕掛けだけ着けておいた。
 さて次のノルマである毛鉤。これはオークションで買ったもの。サバ用と書かれていたので八丈のサバに良いと思って購入した。しかしオークションのやり取りで、出品者の父親が病気で家業の釣具屋の存続ができず、その病気の父親が元気なときに作っていた毛鈎を出品したことを知った。兼ねてから面白い毛鉤のコレクターである僕は、その毛鉤をコレクションの一つにしようと思った。その旨を伝えると出品者は大変喜んでくれた。そして驚いたことに、送られてきた毛鉤のパッケージに『とても嬉しく感じました。コレクション用に少し多く入れて置きましたので、心置きなくお使いください』と。この出品者の父への想いと心使いに感動した僕はすぐにその旨のメールを送った。するとその出品者から『もしもこの毛鉤で魚が釣れたら、父が喜ぶと思うので写真を送っていただけないでしょうか?』との返事が来たのだ。快く請け負ってしまった僕はこの毛鉤で何か釣らなくてはならない使命があったのだ。そしてより高くなってくる波からしていつ釣りができなくなるかわからない常態になってきたので、早速この毛鉤を使ってみた。まずはコマセを撒いて魚を表層に浮かし、毛鉤を食うような魚が見えたら毛鉤を打ち込もうと思ったのだ。しかし波が強くなってサラシが邪魔して魚が見えない。よってある程度コマセを撒いたら毛鉤を放り込んでみた。あれだけ魚が居るのだから何か食ってくるだろうという簡単な気持ちがあった。案の定一発で食ってきた。遊びの釣りなので6lbs(約1.5号)の糸を使った。2回は足元に走って来て瀬ズレで簡単に切られてしまった。しかし3匹目は沖に走ってくれた。これは捕れると思った僕は慎重に竿を操作し、20分くらい掛けて上げてきた。獲物はツムブリだった。65?。ツムブリのJGFA日本記録は6lbsはまだ申請されていない(岸からの釣り)。よってこれは日本記録。しかし釣行日程が変わったお陰で、何を持ったのかが分からなくなってしまって、申請用紙を忘れてしまった。が、きっと喜んでもらえるものと思って、上に魚を運んで写真を撮って申請は辞めた。

                             


そんなことをしていたら、寝ていた友人が『上がろうか?危なくなってきたよね!上から見てたけど何度も波かぶってるじゃない』と。確かに波で何度か体が浮いた。しかしこのくらいのことには慣れているので、大丈夫だと思ったが、彼の指示はいつも的確だったので『任す』と答えた。彼は船に電話した。しかし話中。しばらくしてからまた電話しても話中。『こんなとき長電話して』と、友人は少々イライラ。とその直後電話が鳴って『船頭だ』と言って電話に出た彼は『悪い悪い』とこっちが謝っている。船頭さんは事前にこっちを通った漁船から『サンドン方面は大時化で、乗ってたら死んじゃうよ』と聞いて、何度も連絡していたらしい。しかし彼の携帯は古くなってきていて一日しか電池が持たないので電源を切っていたらしい。そして船頭さんはいくら電話をしても『電源が入っていないか・・・・』を聞いて、何かあったのではないかと心配になって、すでに途中まで来ているものの、波が高くて時間が掛かっているとのこと。何度も掛け直していたら途中で話中になったので『なんて呑気な連中だ』と思っていたらしい。ところがこっちは電池が無くなってしまうので船頭さん以外は電話を掛けていない。どうやら船頭さんと同時に掛け会っていたようだ。そして撤収命令が出た。しかし波が高くて突端の一番低いところの竿の撤収は危険だ。そう思ったが、何とかしなくっちゃとまずは上の竿を片付けながら波の具合を伺った。2回体を浮かされたが、何とか回収できた。一応その外した四点張りのロープを体に縛りつけて下の竿の回収に取り掛かった。まずは空いている他のボルトに体につけたロープをくくり、回収の取り掛かった上手い具合に波は膝くらいを洗う程度のが続いた。そして撤収終了。船が来て僕らの荷がまとまるのを待っている。そして荷をまとめて船に合図。僕が船に渡る前に友人は『いっぺんに乗せようとするな。無理せず一個づつ載せる気持ちでやろう』と。解かっているが焦っていたので忘れていた。そして船が船首を着けてエンジンの音が高くなった。今だ!と思った僕はその一歩を踏み出そうとしたときに、同時に波の音が大きくなった。大きな波が来たのだ。船はその波で持ち上げられ、僕の方へ・・・ヤバイっ!潰されると思った瞬間、今度は僕の背後から岩を乗り越えた波が僕の背中を押した。一瞬何が起こったのか解からなかった。船先はスローモーションのように僕の上を越えて(当然船頭は全速バックにしていた)行った。肩をかすって・・・。押された波で一歩出たので船の直撃を避けられた。そして一旦高いところに上がって時を待った。船頭さんも時を伺っている。そして船が来た。先ほどと同じように舳先を付けて全速をかけている。そして今度は無事に渡れた。そして友人が投げて来る重たい荷物を必死になって受けた。船の舳先が岩に当たったりするものだから立っているのがやっとなのに、何故かもう落ち着いていた。そして船は波に合わせて離れてたり付けたりしながらやっと総ての荷上げ完了。・・・フーーーっ。最後に友人が乗り込んだときには全身の力と気力が抜けた。ぎりぎりだ。ぎりぎりの判断とはまさにこのこと。船に乗ってから見てみるとすでに波はサンドンの中くらいまでを洗うほどになっていた。下の段はすでに海底の一部のようだった。
                             

 流石に天下の名礁。そう簡単に人を近づけない。これが友人と船頭さんのぎりぎりの判断であることが充分に理解でき、撤退がもったいないなどということは微塵も感じられなかった。そしてこの二人の判断に礼を告げ、一路古仁屋へ。しかし船頭さんが言うように波が高くて船は木の葉のように振られ、船頭さんも波に合わせて全速をかけたりバックをかけたり。来るときとはえらい違い。そして笠利を過ぎた頃からいくらか波は波高を下げたが、それでも船頭さんは調整し続ける必要があり、のんびりとはしていられない状況。そして皆津を過ぎ、いつもべた凪の大島海峡に向け海陀を右に切ったとき暮れ始めていた空の隙間から、大きな太陽が顔をのぞかせた。まるで僕らの生還を祝ってくれているようだった。